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『原発に最も近い映画館』が教えてくれた価値

福島第一原発25キロの映画館「朝日座」

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Mar 25, 2017 by editors room Reporter

3 Lines Summary

  • ・震災から3か月後に上映会
  • ・知名度が上がり全国から寄付が集まった
  • ・朝日座をきっかけに地域の価値見直しが始まる

大正時代から続く木造の映画館

福島第一原発から25キロ。福島県南相馬市原町区には、大正時代から続く木造の映画館がある。名前は「朝日座」。原発から最も近い映画館だ。

1923年7月、関東大震災が起きる2カ月前に活動写真や芝居を楽しむ場所として建てられた。当時の名称は「旭座」。戦後になって、持ち主が変わり、名称は「朝日座」に。映画専用の施設になった。90年代には、映画人気の衰退で劇場は閉館したものの、地域の有志が集まって年に数回、映画の上映会が行われてきた。

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東日本大震災の際、南相馬市では、小高区、鹿島区、原町区高見町で震度6弱、原町区本町、原町区三島町で震度5強の揺れを観測。建物の倒壊や津波被害による震災直接死は600人以上になる。ただ、朝日座周辺の市街地においては、大きな被害はなかった。

「このあたりは地盤が強いみたいで3月11日は、ほとんど影響がなかったんです」

この館の管理運営などをおこなっている「朝日座を楽しむ会」の代表・小畑瓊子さんは振り返る。

朝日座では、35ミリ映写機2台が転倒、外壁のタイルが一部剥離しただけで済み、その後4月の余震で蛍光灯の一部が破損したものの、建物全体としての被害は軽微だったそうだ。

原発事故に翻弄される街

朝日座周辺は無事だったものの、震災翌日には福島第一原発1号機が水素爆発した。

「爆発の音を聞いたという人も、中にはいたそうですが、住民の多くは、何が起きているのか、わからなかった。避難所にテレビが設置されて初めてそのことを知ったという人も多かったみたい」(小畑さん)。

自衛隊は原発周辺での行方不明者の捜索を中止し、福島第一原発から半径20キロから30キロ圏内の住民に対して屋内退避指示が出た。浪江町などもっと原発に近いエリアの住民が、すでに南相馬市にも避難してきていたが、15日、住民は自家用車やバスなどでの集団避難を開始し、多くは相馬市や伊達市、そして飯舘村などに向かった。

「当時はとりあえず離れることがいいのだと思っていました。風向きによって飯舘村とかは、影響を受けていたことが後になってわかりましたが、みんな外で炊き出しを食べたりしていたそうです。知りませんでしたから」。小畑さん自身は、集団とは別に愛知の親族の元に避難した。

4月に入ると、避難が長期化することに疲れたことなどから、住民などが市内にもどりはじめた。小畑さん自身もこのころ市内に戻ったという。4月22日には、原発から20キロ圏内が警戒区域に設定されるとともに、計画的避難区域が設定された。20キロから30キロ圏内については、屋内退避が解除、緊急時避難準備区域、つまり居住は可能と改められた。南相馬市では、小高地区全域と原町地区の一部が警戒区域に設定され、立ち入りが制限されることになった。

余震が続き、原発事故への不安が募る。立ち入りが制限された地域の住民など、市内の避難者の数は、400人を超える時期もあり、小畑さんも避難所の手伝いに奔走していた。このころには、営業を再開するコンビニエンスストアなどが出てきたものの、十分な状況ではなく、そのため避難所に避難していた人だけでなく、在宅避難を続ける人にも日常は戻っていなかった。

在宅避難者の娯楽がない

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「朝日座」では、震災から3カ月しか経っていない6月、震災後初めての上映会が行われた。小畑さんたちが選んだのは、吉永小百合が出演する若者の群像劇『いつでも夢を』だった。「こんな時だからこそ、と思ってこの作品を選んだ」という。

当時は、芝居、コンサート、映画など、あらゆる娯楽が自粛ムード。そんな空気の中での開催に「なんて空気が読めない、と言われるかもしれないと思っていました」と小畑さんは語るが、ほとんど口コミだけで80人ほどの人が集まった。その中には市外に避難していた人の姿もあり、被災した市民同士の再会のきっかけにもなったという。

なぜこの時小畑さんたちは、上映会を決断したのだろうか。

当時、避難所には、炊き出しや慰問で有名人が来たり、イベントが行われたりしていた。だが、在宅避難者の娯楽がなく、「何の楽しみもなかった」のだという。

「本来イベントを行う場である公共施設は、避難所になっていたのです。日常生活が行われる場ですから、そこに普段いない在宅避難者が避難所にいってイベントに参加するのははばかられたのです」

市内の図書館も夏くらいまで閉鎖されていて、人が集まる集会所のような場所もなかったのだという。朝日座は、小畑さんたちが管理している施設、「こういう時だからこそ民間の施設が使える」と開催することを決めたのだという。

この後も、朝日座では映画の上映会や、寄席、舞台などの開催は続けられた。この朝日座を舞台にした映画が公開されたことも手伝って、全国的に知名度、注目度も高くなっていった。

朝日座をきっかけに地域文化の価値の再考、活用へと舵

現地を訪れると白い壁に朱色で「ASAHIZA」と書かれたモダンな外観が目に入り、入口には昔ながらの券売所があってレトロな雰囲気が漂っている。

ロビーに掲示されたポスターは、全盛期のころの映画館の様子を演出している。スクリーンと反対側の2階部分には、35ミリの映写機。桟敷なども残されている。

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1923年、関東大震災の年に建てられ、90年以上の歴史がある朝日座。当時は「旭座」という名前で、芝居もできる常設の映画館として建設された。両方上演できるのは当時の最先端だったという。現在、200ほどの席が並べられている場所は、当時、歌舞伎の観客席のような升席が設けられ、桟敷席、花道、奈落などもあった。

関東大震災、第二次世界大戦、そして2011年の東日本大震災と原発事故と何度も危機を乗り越えた唯一の映画館として、この地域の大衆娯楽の歴史を伝える存在として、在りし日の姿を今も残している。

戦後には、所有者がかわり映画専用の施設「朝日座」に名称を変更。市民の娯楽として、多くの人でにぎわった。当時、芸術性の高い作品を選んで上映しているとして全国の映画関係者からも一目置かれる存在だったという。

しかし、レンタルビデオの普及などによって、映画の衰退は進む。周辺にはいくつか映画館があったというが次々と閉館。1991年にはついに朝日座も常設映画館として幕を下ろした。

2008年に市民の有志によって立ち上げられた「朝日座を楽しむ会」によって、年に数回映画の上映会などが開催。とはいえ、閉館から十数年以上経過した木造の朝日座は、老朽化が進み、雨漏りによって、カビが発生するなどしていた。

震災後にようやく屋根の張替えとホール、ロビーの天井修理などの実施にこぎつけたが、これには県からの助成金のほか、全国からの寄付金などによって費用がまかなわれたのだが、震災をきっかけに知名度が上がった朝日座への寄付は全国から寄せられ、小畑さんたちの想像を超える規模で集まったという。

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修理にあたって、朝日座には国の登録有形文化財に申請するという話が浮上した。実は、震災前に建物の中を同会で調べたところ、旭座のころに使用されていた桟敷席など、芝居小屋としての設備が出てきていた。朝日座になった際に必要ないと板などで閉じられた状態だったのだ。

申請にあたり専門家による建物の本格的な調査が行われ、建てられた当時の方法での修理が行われた。修理後には、文化庁の調査が行われ、2014年に「地域の娯楽殿堂として長く親しまれ、芝居小屋から映画館へ至る改修の歴史を伝える建造物」として登録有形文化財になった。登録有形文化財への指定は、双葉地域と相馬地域からなる相双地区で初めてことになる。

南相馬市ではこれまで文化遺産といえば、古墳など古い時代のものがメインだった。しかし、この朝日座が、明治以降の建造物、地域文化の価値の再考の追い風になったという。

南相馬市文化財課の川田強さんは「自分たちの地域にある古い家屋には、価値があるかもしれないと、調査をするようになり、歴史的な建築物を活用して観光資源として活用していくという機運が住民の間でも高まった。朝日座の指定は大きなきっかけになりました」と語る。

昨年には、2件目の登録有形文化財が誕生し、市によると、今も申請を出している建物が複数あるという。

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提供:南相馬市 左から2人目が小畑瓊子さん

2016年には、まちなかの歴史的な建物をみてまわるツアーが複数開催され、市内だけでなく、沖縄などの遠方からのも参加者が訪れたという。観光客を集める呼び水として、今後はますます期待されていくだろう。

南相馬市は、2017年度中に、「歴史文化基本構想」をまとめる予定だ。建物をどう保存し、どのように観光資源などに使っていくかが盛り込まれる。こうした基本構想をまとめるのは南相馬市としては初めてのことだそうだ。震災前は、課題意識は持ちつつも、実現してこなかったのだという。

朝日座の指定をきっかけに動き出した、まちの歴史を見直し、生かしていこうという取り組み。震災から6年経った今、コミュニティの再興や観光産業の活性化にどれほど寄与できるのか、注目される。

被災地、東北の今
vol.10

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